名古屋の白鳥古墳をご存じでしょうか?

こちらの古墳は古くから強力なパワースポットの1つとの噂があります。

 

この記事では、白鳥古墳がパワースポットの理由や由来の歴史など、訪れるならぜひ知っておきたい情報をまとめています。

さらに、山口や大阪の白鳥古墳との関係などについてもお話していますので、是非チェックしてみてください。

名古屋の白鳥古墳が強力なパワースポットの理由

名古屋にある史跡の白鳥古墳は、パワースポットの1つとして知られています。

創建の正確な時代は分かっていませんが、6世紀初頭という説が有力です。

これは前方後円墳が根拠となっているので、それ以外に証明する根拠があるかといえばやや乏しいところです。

 

白鳥古墳がパワースポットとされるのはやはり、あのヤマトタケルのお墓という理由が一番です。

日本書紀や古事記、先代旧事本紀にも名前が登場するほどですから、ヤマトタケルは時代を超えて大きな存在感を放っているといえます。

日本神話で活躍した英雄その人なので、そのヤマトタケルが眠る白鳥古墳がもの凄いパワースポットだとしても不思議ではないです。

ヤマトタケルを詳しく知らない人でも、勝負に強く大きなことを成し遂げた人ということくらいは知っているものです。

つまり強く生きて名を残していますから、ご利益に期待できて願いを聞き入れてくれる可能性があるといえるでしょう。

お墓なので面白がって訪れる場所ではないですが、敬意を払って足を運べばヤマトタケルも受け入れてくれるはずです。

 

そして、願えば叶う可能性は十分にあると思われます。

神社は願掛けがNGといわれたりしますが、史跡ならそれは関係ありませんし、失礼なことでなければ願ってもバチは当たらないでしょう。

白鳥古墳の由来!ヤマトタケル伝説

白鳥古墳はヤマトタケルが死後に白鳥となって舞い戻った地で、これが名前の由来になっています。

白鳥とはまさにヤマトタケルのことで、数ある神社仏閣の中でもヤマトタケルのお墓とされる場所は白鳥古墳を含めて限られます。


ヤマトタケルの歴史は第14代仲哀天皇を父に持ち、母の播磨稲日大郎姫から生まれたところから始まります。

南九州の熊襲を迎え撃ち、熊襲の王のカワカミタケルを討つ活躍を見せ、大和へと帰る途中ではイズモタケルさえも討ちました

水浴びの際にヤマトタケルは剣を木刀にすり替えられピンチに陥りましたが、同じことをイズモタケルにも行い返り討ちにあわせています。

 

大和朝廷ではオトタチバナ姫と結婚、今度は東の国の蝦夷を討つ命令を受けて伊勢神宮に立ち寄ります。

この伊勢神宮で受け取ったのが草薙の剣で、その後も豪族を滅ぼし大和朝廷に従わせる活躍を見せますが、大和への帰還中に病死したとされます。

 

後にヤマトタケルの墓が作られたというのが白鳥古墳の伝説です。

これは古事記に書かれている内容なので、日本書紀や先代旧事本紀と比べると内容が異なります。
しかし、白鳥古墳にまつわるヤマトタケル伝説はこのように、白鳥に姿を変えたヤマトタケルが登場する内容です。

 

※なお、日本武尊(やまとたけるのみこと)の墓といわれていましたが、近年では尾張氏の陵であるという説も有力だそうです。

白鳥古墳群ミュージアム!歴史好きなら行ってみて

白鳥古墳群ミュージアムは、愛知県名古屋の守山区にあるしだみ古墳群が有名です。

地元の企業を筆頭に構成されたグループが運営を行い、体験できる豊富なプログラムを通して、白鳥を含めた古墳群の歴史に触れたり学べるようになっています。

 

施設は1階に展示室やミュージアムショップ、カフェレストランや調査研究室に収蔵庫などがあります。

2階は体験活動室と親子コーナーのこどもこふんで、そこから屋外に出ると古墳エリアとなっています。

屋外古墳エリアでも展示が行われていますから、屋内外で広く白鳥古墳群について学ぶことが可能です。

 

営業時間は定休日の月曜日を除き、土日を含む毎日午前9時00分から17時00分です。

来場者が多く、親子で楽しめる施設として評価されているので、古墳群に興味を持ったら足を運んでみる価値があるでしょう。

オープンしたてで施設は真新しく、駐車場完備で自家用車でも楽にアクセスできるなど、足を伸ばしやすい魅力的な施設です。

 

静かな立地で休憩にも最適ですし、1日を掛けてゆっくりと過ごすのにも向いています。

古墳マニアでなくても、歴史に興味がある人なら楽しめるはずです。

白鳥塚古墳とは徒歩10分ほどの距離ですが、車を降りて少し歩けば到着ですから、初めてでも迷わずにたどり着けるでしょう。

白鳥古墳のアクセス!最寄り駅はどこ?

白鳥古墳へのアクセスは、

  • 最寄り駅の地下鉄神宮西駅より徒歩約6分、
  • JR熱田駅からは徒歩約13分

で到着です。

地下鉄なら西高蔵駅とも徒歩約11分くらいの距離ですが、最寄り駅はやはり神宮西駅ということになるでしょう。


遠方からのアクセスならJRの利用が適しているので、熱田駅が最寄り駅になると考えられます。

逆に市内での移動であれば地下鉄が便利ですし、最寄りの神宮西駅か少し離れた西高蔵駅が利用の狙い目になります。

白鳥古墳は街に溶け込む形で地域に密着していますから、実際に訪れてみるとあまり広くはありませんし、白鳥公園に隣接しているので公園の一部にも見えます。

いずれにしても、白鳥古墳は地域の人達が生活を営む落ち着いた場所にあって、公共交通機関を使えば遠方からでも楽にアクセスできます。

 

楽天たびノートには白鳥古墳の周辺情報やルート検索がまとまっていて使いやすいです。
白鳥古墳へのルートマップと観光情報はこちら

 

駅から少し歩くので、前もって場所や位置関係を把握しておくべきですが、直線的な道が多い地域なので迷う心配はあまりないです。

目印に法持寺というお寺がありますから、お寺を探して歩けば白鳥古墳も見つかります。

ちなみに法持寺は昔白鳥古墳を管理していましたが、戦後に名古屋市が管理するようになりました。

堀川沿いに歩いても白鳥古墳にアクセスできますし、白鳥庭園側から御陵橋を渡ってアクセスするのもありです。

白鳥古墳は山口や大阪にも?

白鳥古墳は名古屋が有名ですが、山口県熊毛郡平生町の白鳥古墳と、大阪にある羽曳野市の白鳥陵古墳、通称日本武尊白鳥陵も知られています。

 

前者は山口県指定の史跡で、県内で最大規模を誇る古墳です。

推定5世紀に築造されたと考えられており、形状は名古屋にある白鳥古墳と同じ前方後円墳です。

被葬者は不明ですが、瀬戸内海の西部に勢力を持っていた首長の墓と想定されています。

名前が同じなので紛らわしいですが、名古屋の白鳥古墳との直接的な関係はなさそうです。
大阪の白鳥陵古墳は宮内庁が治定している古墳で、日本書紀に出てくる日本武尊が遠征の帰り道に伊勢の能褒野で亡くなり白鳥として飛来、再び飛び立った場所とされます。

羽曳野という市名の由来にもなっていますし、歴史的に由緒あるのは間違いないです。


白鳥と名前がつく古墳は名古屋の他に、山口と大阪に加えて広島にもあります。

ヤマトタケルの伝説は白鳥にまつわるので、ただ単に白鳥古墳といってもそれが伝説と関係があるかは別です。

とはいえ作られた時代的に全く無関係ともいえないので、不明な点を含めて想像が掻き立てられるのは確かでしょう。

結局のところ、決定的な証拠でも出土されない限りは誰も証明できないので、謎は謎のままということになります。